田中秀征(たなかしゅうせい)
元経済企画庁長官・福山大学教授・「民権塾」主宰- 経歴
- 1940年長野県篠ノ井町(現・長野市)に生まれる。長野県長野高等学校を経て、東京大学文学部、北海道大学法学部で学ぶ。
石橋湛山氏を理想の政治家として仰ぎ、その石橋内閣の官房長官を務めていた衆議院議員の石田博英氏の秘書となる。
1972年第33回衆議院議員総選挙に長野1区(旧)から立候補するが、落選する。以後、第34回衆議院議員総選挙、第35回衆議院議員総選挙、第36回衆議院議員総選挙に相次いで立候補するが、落選を繰り返す(この間一時的に新自由クラブに籍を置いたが路線の対立から離党している)。
1983年の第37回衆議院議員総選挙に立候補し当選する。以後当選3回。自由民主党に入党後は、宏池会に所属する。
宮澤喜一氏から厚い信任を得ていたが政治改革が叫ばれるようになると、武村正義氏らと共にユートピア政治研究会を開催。
1993年6月武村氏らとともに、自民党を離党し、新党さきがけを結成。党代表代行に就任する。
第40回衆議院議員総選挙後、細川護煕氏の日本新党と統一会派を構成し、武村氏が内閣官房長官、鳩山由紀夫氏が官房副長官に就任する。
同氏は代表代行のまま、首相特別補佐に就任、「質実国家」のキャッチフレーズを作った。政治改革特命政権を主張し、政治改革が一応の成立を見た段階で細川氏に内閣総辞職を勧めていた。1996年第一次橋本龍太郎内閣の経済企画庁長官で入閣する。
さきがけ党を離党後、福山大学教授として教鞭を執る傍ら、テレビなどでコメンテーターとして活躍している。 - 講演テーマ
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「時代を視る」
「政治経済の行方」 など - 著書
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「落日の戦後体制」
「自民党解体論」
「さきがけと政権交代」
「時代を視る」
「田中秀征の論跡」
「民権と官権」
「舵を切れ-質実国家への展望」
「日本の連立政治」
「梅の花咲く-決断の人・高杉晋作」
公開日:2012年10月23日
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